聖天宮西江寺
本堂 大聖歓喜天
箕面山は古来より瀧を中心に山林の修行道場として発展し、日本でもっとも古い修行地の一つ。658年飛鳥時代、役行者により開山されました。
役行者が箕面大瀧で苦行を重ねていたある日に山獄鳴動して光明が輝き光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、この山を日本最初の歓喜天霊場として万民の諸願成就のため未来永劫ここに鎮座すると申されました。
本堂には役行者作日本最初の大聖歓喜天が祀られ1360年余の歴史があります。現在も地元の氏神として「聖天さん」と呼ばれ信仰を集めています。
対談石
役行者と歓喜天の化身である老翁が対談したとされる「対談石」が境内に残されています。
大聖歓喜天は古代インドでは知恵・幸運の神であるガネーシャがもとで、日本へは金銀融通、縁結びの神として伝わりました。象頭人身の男女が抱き合う形をしており、夫婦和合・安産・子宝の神としての信仰もあります。
老翁と役行者対面の図
大黒天
大黒天は古代インドではマハーカーラという暗黒に住み死を司る神で、現在の福々しい姿とはずいぶんと異なるものでした。仏教が伝わった時に神道の国造りの神である大国主命と習合され、その後少しずつ変貌して古い時代には戦闘神として、また台所の神として信仰されていました。
西江寺に祀られる大黒天は室町時代中期の作と伝えられており、頭に鳥帽子を冠して左肩に大袋を背負い右手に打ち出の小槌を持つ姿の日本ではめずらしい立像大黒天で、阪急沿線「西国七福神」の一尊でもあります。
七福神
恵比寿神、大黒天、毘沙門天、福禄寿、弁財天、寿老人、布袋尊の七つの神は、平安時代から福をもたらす神様として、個々別々に進行されていました。
そして室町時代になると、これらの福神は”七”という聖数をあてられ、福徳施与の神として広く一般的に親しまれ、信仰されるようになりました。
これが「七福神」の始まりであり、西江寺では室町時代中期に作られたと伝えられる「大黒天」も祀られている。
御朱印
御朱印は、参拝や奉納の証明として、神仏と縁を結んだ証として発行されています。 阪急沿線「西国七福神」を巡り、さまざまな御朱印をもらいに行くのも楽しいでしょう。
朱印帖用 、七福神めぐりの大黒天 (左)本尊の大聖歓喜天 (右)
朱印帖用 枚数限定切り絵
懸想文
懸想文とはラブレターのことです。 都の風俗の一つとして、その昔、懸想文売りが街を賑わしました。 烏帽子に水干姿で梅の枝に文をさげ、顔を覆って売り歩いたと言われています。 文字を書けなかったり忙しい人のために代筆したのが始まりと思われます。 もともと恋文ですが、縁談や商売繁盛、家内安全など人々の願いを叶えるお札です。 懸想文を玄関や床柱にさしておくと、美男美女になり良縁やお金が増え福が来ると いうので、人々に求められました。